エメ姉さんの未来を考えたらリョーマ!の「新生」の意味が見えてきた
※この文章には映画「リョーマ! The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様」のネタバレが含まれています
あらすじ
テニスボール同士のぶつかった衝撃で主人公のリョーマ・ヒロインの桜乃は過去の世界へタイムスリップする。
過去の世界で、リョーマの父・南次郎の八百長試合(わざと負ける)をやめさせるため、リョーマがあがく。
その中で、マフィアの娘のエメラルドとリョーマがテニスで戦うことになる。
リョーマはエメラルドに勝てるのか?
そして、南次郎の八百長試合を無事にやめさせることができるのか!?
まずテニスボールの衝撃でタイムスリップするって何?
過去の世界に行く話で「過去の改変を止める」という話の方向に持っていかないテニプリという巨大ジャンルis何?
というツッコミどころ満載ではある。
なお、テニプリミリしらで行ったが、見ると元気が出まくる映画であった(個人的感想)。
『新生』ってなんぞや?を軽く考えてみる。
まず、物語の主軸となっている「南次郎の八百長やめさせる」という目的。
これは明らかに、リョーマ=南次郎の息子という強調を示している。
そして、南次郎自身の強さの強調。
例えばガットの破れたラケットの、フレーム部分だけで球を打ち返し試合に勝つ。
これまでの原作などで登場した「テニスの技」をラッシュするなど。
テニスの超強い、「南次郎=テニスの王」の「子供」=「王子様=リョーマ」という構図がまずは思い当たる。
しかし、『新生』の意味はそれだけではない、というのが自分の結論である。
映画を見終わったあと、ひとつ、気になっていたことがあるのだ。
それは、エメラルド(以下、エメ姉さん)の未来がリョーマに会うことによって変わることである。
※未来、というのはリョーマの生きる原作時間軸のこと
エメ姉さんは作中にて、怖い、そして強い女性として描かれている。
彼女はマフィアの娘だが、父が嫌いで家を飛び出している。
趣味はテニス。
なお脚にテニスラケットを装備してカポエラをするように戦う。そのため、脚線美が浮き出るようなスキニーを履くというキャラクターデザインとなっており、ありがとうございます!……話がそれた。
そんな彼女の未来が、リョーマが過去に行く前・行った後で変わっているのである。
・リョーマが過去に行く前の未来…車椅子テニスをしている(冒頭のポスター)
家(マフィア)に戻らない→マフィア抗争に巻き込まれる→脚の怪我
テニスはやめない。
・リョーマが過去に行った後の未来…モデルをしている(化粧品のCMに出ている)
家に戻る→抗争に巻き込まれない?
テニスをやめたかは不明
ここが妙に腑に落ちなかったのである。
なぜ、彼女の未来はリョーマが関わったことで変わったのだろう。
わざわざ変えるという作者の意図は何なのか?
描写的に不要ではなかっただろうか?
彼女が「ぞくぞくするねえ、その瞳」と未来のCMでも言う演出は神ではあったが、それならリョーマが過去に行く前もモデルでも良かったのでは?
むしろ、テニスを続けているという描写の方が、彼女らしいのではないか?
いや、必要なのだ。
ここで『新生テニスの王子様』がキーワードとなるのである。
リョーマが過去に行く前・行った後、というのはつまり、
エメ姉さんとリョーマが出会う前・出会った後、と言い換えることができる。エメ姉さんはリョーマに会うことで未来を変えられた、と言っていい。
つまり、
リョーマという王子様に出会い・惚れたことでエメ姉さんは「お姫様」にさせられた。
『新生テニスの王子様』とは『お姫様』に対する『王子様』という意味だったのではないだろうか。
車椅子テニスプレイヤーから、モデルに。
モデルという「女性であること」を活かすお仕事は、『お姫様』を強調する手段のひとつとして描かれていたのではないか。
そして、もうひとつ。
エメ姉さんはリョーマについて
「俺はこいつに惚れちまったのさ。男ってやつを見直した」と評している。
リョーマによって女にされた……というと語弊があると思うが、エメ姉さんはここで女性である自分をリョーマという王子様によって深く自覚した、という描写と言っていいだろう。
そして、原作(特に無印)ではあんまり登場しなかった桜乃ちゃん。
今作では大活躍である。
原作連載開始当初において、「王子様」に対する「お姫様」としてヒロインを出したかったのが、連載が進むうちに「お姫様」=読者という構図が出来上がり、そこを優先した結果、登場回数が減ったのではないだろうか。
(読者が悪いなどでは一切なく、許斐先生がファン層に合わせて丁寧に連載を重ねた結果だと思う)
そのヒロインをしっかりと登場させるということは、
改めて「王子様に対してのお姫様」という描写をより強固なものにしたかったのではないか、それによって『新生』の意味を強調したかったのではないだろうかと思うのだ。
結論、
『新生テニスの王子様』とは、『お姫様』との対比としての『王子様』という価値の再提示である、
ということに自分の中でしておく。